その感じられるモノとは、、、、、
それは、自分が一人で生きているのでは無いということ
人は絶対に何かに支えられているということ
特に身近な人との関係性の中に生かされているということ
特に身近なモノに支えられているということ。それは空気、水、火、大地、そして植物といった「モノ言わぬモノ」に支えられているということ
モノ言わぬモノは、モノを言わないので、モノばかり言う人間はモノをモノとしか思っていませんが、それは大きな思い違い、思い上がりです。空気、水、火、大地、植物のない世界で我々は生きていけますか? 真っ先に感謝すべき存在ではありませんか?
引きこもっている人は、それら多くのモノに支えられているという実感ができれば、「ひとりじゃないんだ、愛されているんだ」と大きな味方を得たような感覚が得られます。大きな味方ができれば、狭い部屋が窮屈に感じられてきて、自分を在るがままに表していいんだと外に出て行くことができます
内観法では、まず両親にしてもらってきたことを中心に想起していきます。いきなり、水や植物に感謝するのは実感が湧きにくいので、もっとも身近な人である自分の味方を実感していくのです。そこには、感謝しかなく、生まれてきて良かったと心から思えます。そして感謝はとてつもないパワーを秘めています
感謝行という手法もありますが、心からの感謝を何度も重ねると、人は確かに覚醒していきます。チャクラがどうとか、オーラがどうとか、前世がどうとか、そんなものよりも異なる次元にシフトしていきます。「ただ在る」を歓ぶだけになってきます。何も求めなくてよい感覚になってきます。だから、ただ在るがだけで良いので、在ることが奇跡的に感じられ、「在り難い」、「有り難い」、「ありがとう」と言わざるを得ないのです
そして仏教でよく語られますが、ありがとうの反対語は、「当たり前」。当たり前の反対は有り難し、在ることはいわば奇跡なのです