アヤワスカ

私の初めてのアヤワスカ体験7-7@ブラジル

 強烈な自他一体感にガツンとやられた私は、今度は自分の細胞や体をいやに愛おしく感じ始め、ひとりでに体をまさぐり、心臓や胃腸、股間、爪の一枚一枚までを触り、それぞれの器官に「ありがとう、ありがとう、いつも頑張ってくれているのに、これまで皆にお礼を言うこともなかった。ごめんね、ごめんね」と言っていた

 ちなみに、この最初の儀式から一週間ほどは、植物が愛おしく、しばらく会話もできたし、ゴミをゴミ箱に捨てることができなくなっていた。ゴミもまた自分のために働き、役目を終え、今こうしてゴミ箱に「アセンション」するのだと思うと、ゴミすらも愛おしく、なかなか容易に捨てることができなかったのだ。とにかく通常の感受性を通り越して、神経をむき出しにして外を歩いているかのようになってしまったのだ

 もうこれ以上はやめてほしい、早く終わってくれ。あれだけ恋焦がれ、待ちに待ったビジョンは、シャーマンが帰った朝方から私を襲った。最初の恍惚感は永遠に続いてほしいとすら思ったが、後半これだけ感情が揺さぶられると、さすがに疲れてきた。その私の想いを受け取ってくれたのか、ビジョンは徐々に薄くなっていき、私はゆっくりと目を開けた。結局それからは一睡もできず、半時間ほどベッドに横たわっていたが、寝息を立てている2人を後に、私は一人で前庭に向かった

シャーマンとシャーマニズム、アヤワスカ、ラペ、ハペ、カカオなどのプラント・メディスン探求

 昨日の嵐は嘘のように、温かい朝の日差しが庭の植物たちを照らしていた。葉についた雨露が、日の光に照らされてきれいに輝いている

 それを見た私は、また泣いた

 芝生はきらきらと輝いており、これまでに見たことのないような黄緑色を発光させている

 それを見た私は、また泣いた

 そして空を見上げると、黒い蝶がひらひらと舞っている

 それを見た私は、また泣いた

  頭の中には、、、

蝶が飛んでいる → 蝶は生きている → それを見ている私も生きている → 生きている → 素晴らしい、ありがたい、美しい、なんて素敵なんだ、という回路で、自然に感動と感謝の念がこれでもかと湧いてくる

 こんなに自然や自分の見ている景色は美しかったのか、今まで見ていたものは何だったんだろう、今まで何を見ていたんだろう。生きているだけで、命の輝きはなんて美しく貴いものなんだろう

 私はその眩しさに耐えきれず、ふらりと椅子にこしかけると、今度は目を瞑って足を大きく伸ばしてうなだれた。しかし涙は止まらない。幸い、周りには誰もいない。なすがままに涙を流し、この貴重な時間を堪能しよう

 セレモニーがもう一度始まるのではないかと案じてしまうほど、感情が高まっている。前庭の植物たちが愛おしく美しく貴いものに思え、私は人目もはばからず、子供のように声を上げて号泣した。既にアヤワスカの波は去ってしまっているのに、私の感情は異常なほど敏感で、一体何を対象に泣いているのかも自分で理解できないでいた。しかし、その涙は辛さや悲しみでもなく、嬉しさや感動でもない、命の息吹に感応したような躍動感のある涙だった

 一度は諦めかけたアヤワスカの洗礼は、予想と想像以上に強烈に私を襲った。8時間かかって効果が表れる、私のようなケースは非常に珍しいようだが、私の念願のアヤワスカのbatismo(洗礼式)は、こうして幕を閉じた